「お金をください」と言って簡単にもらえるものではないことは、いい大人だったらわかっているはずだ。 「お金をください」が成立する背面には「お金をあげます」と言う存在が必要だ。「ください」と言ってもあげる人がいなければそれは無理だし、「あげます」と言っても貰ってくれる人がいないとそれも無理だ。これが資本主義の大前提であることはマルコス大統領も言っている。 つまり、あなたが僕に「お金をください」と言っても、僕がお金をあげる人でなければ、取引は成立しないのである。それを理解しているのだろうか。 ここから百歩譲ろう。例えば、援助交際と言うものがある。「お金をください」から「お金をあげます」の仲介が成立するには、体の関係が必要だ。無償でお金をあげるなんてことはまずない。それは何らかの見返りが必要だ。つまり「お金が欲しいからやらせてあげます」「お金を払うからやらせてください」という双方のニーズが合致するために成立するのである。 パトロンの作り方 だから、何の見返りもなしに「お金をください」と言われても、私にはお金をあげる義理も心もないのだ。 ただ、私もお金に困っているわけではない。何らかの条件があれば、私も「お金をあげる人」になれるのだが、少なくとも、そんな気持ちには到底達していないのが現状だ。 私が言いたいのは、キミはそんな現状を認識したうえで「お金をください」と私に言っているのか?と言うことだ。じゃあ、キミは私に何をしてくれるのか?と言う点が重要であることになぜ気づかないのか。 「いいから、早く慰謝料出しなさいよ」 まあ、確かに私が援助交際で「お金をあげる人」になっていたのは事実だ。そして、それがバレて離婚に至ったことも事実だ。だからと言って、離婚を切り出してきたのはキミの方だし、自分の小遣い以外は専業主婦であるキミが独占していたのではないか?主婦として家庭を支えてくれていたと言う見返りがあったから僕はキミにとっての「お金をあげる人」になっていたわけだし、それがなくなってまで「お金をください」と言われて、払う方が愚かなことだと思うのだ。 その後、私は裁判に負けて、財産のほとんどを元奥さんに持っていかれて、そのまんま「お金をあげる人」になった。 支援してくれる人 パトロンとは
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